ブレイクダンスの誕生

カテゴリ: 初心者 歴史

ブレイクダンスの誕生
スポンサード リンク

1970年代前半、B-BOYINGはNYサウスブロンクス地区で生まれた。当時は足だけを使うシンプルなフリースタイルの踊りであった。

フットワーク、アップロックの誕生

その後この踊りが進化し、やがて"boie-oie-oings"と呼ばれるようになり、これに手を使って地面で体を支えながら踊るものが現れはじめフットワークのスタイルが生まれた。
ちょうど同じころブルックリンではブルックリンロックと呼ばれる立ったり座ったりするような踊りが登場、後にアップロックと呼ばれるようになった。

B-BOY第1世代~第2世代

こうしてB-BOYの第一世代が登場、黒人のクルー、Nigger TwinsやClark Kentといったクルーが名をはせていた。
1977年には、今のロックスディーの母体となるZulu Kingsと呼ばれたクルーもクラブをにぎわすようになった。(この世代のB-BOYINGにはまだ体ごとスピンする技はなくフットワーク中心であった。)
しかし、B-BOYINGも77年頃から黒人の間ではその人気を失いつつあった。

その死にかけたB-BOYINGに新しい命を吹きこんだのは同じブロンクスに住んでいた若いプエルトリコ系のダンサーであった。彼らはB-BOYING の第二世代と呼ばれ、フットワーク中心のブレイキングにウインドミル、ヘッドスピン、ハンドスピンといったアクロバティックな要素を取り入れた。
それぞれの技は、いろいろなところから取り入れられたと言われる。有名なところでは、カンフーの起き上がる動きを連続することで生まれたウインドミルであろう。

フラッシュダンス

フラッシュダンス

プエルトリコ系B-BOYの活躍で勢いをとりもどし、B-BOYINGが全米そして、世界的に知られるようになったのは1982年公開の映画「フラッシュダンス」でとりあげれてからであった。そのシーンはごく数十秒のものであったが、その衝撃はかなりのものであった。

実際、日本の大御所B-BOYもこの映画を見てダンスを始めた人も少なくない。「フラッシュダンス」以後、ブレイクダンス映画が次々に作られ、一大ブームを築いた。

※当時は今のOld Schoolの3ジャンル(B-Boying,Lockin',Popin')のように分かれていたわけではなく、3つを合せてB-Boyingと呼んでいたようである。

B-BOYINGの氷河期と復興

しかしながら、この1980年代前期のアメリカにおけるB-BOYINGの過度なメディア登場は、85年以後、B-BOYINGがメディアへの露出が減少した時に、大衆に単なる流行だったのだというイメージを持たせる結果になった。クラブでB-BOYINGをやろうものなら、時代遅れの目で見られ、多くのB-BOYが姿を消した。

こんな状況でも、真のB-BOYたちは、世界中で根強くB-BOYINGを続け、新たなる時代の到来を待った。特にロスやサンフランシスコなど西海岸の都市では、パワームーブ(フットワークなどでなく大技)の進化や新たなコンビネーションの発明が、一部のB-BOYの間で確実になされていた。

これを受けて90年代始めにはロスやサンフランシスコで後に「The resurgence of B-boying」と呼ばれるB-BOYINGの復興ムーブメントが起こりはじめた。このムーブメントは、ゆっくりではあったが着実に全米、そして全世界にひろがった。

参考・引用サイト

スポンサード リンク

関連コンテンツ

↑ページ先頭へ